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2007.9 中国西域絹の道 ウルムチ(1) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/18(火)札幌8:00〜関空10:10/14:00〜北京16:00/20:05〜ウルムチ00:05  航空酒店1泊
団体旅行で夫も同伴の旅は一昨年のオセアニアの船旅以来です。今年は結婚40周年にあたります。50周年は多分生きていても、海外旅行ができる体力はなくなっていると推定し、記念に出かけることにしました。しかし、趣味の違いもあり行き先がなかなか決まりません。夫は昨年1月に心臓弁膜症の手術を受けてから、飛行機の時間の短いところが希望です。中国が好きで何度も行っていますが、西域のタクラマカン砂漠方面は未訪問。私も中国は初めてですが、砂漠が好きなので、ようやく意見が一致しました。
旅支度は気の早い夫は一週間前には完了。それに比べて私はノンビリなので、出発前夜までかかり、床に就いたのは午前様・・・。寝不足の目をこすりながら、昨夜予約してあったタクシーで札幌駅へ。関空までのフライトも順調。関空でのツアー集合12:00にはまだ時間があるので、空港内のマッサージ屋さんで30分もみもみ(こっくり、こっくり)。

W社の「天山山脈とタクラマカン砂漠縦断の旅」は大阪支店の主催のため関西在住の方が多く、参加者22名。北海道からは旭川の70代後半の男性と私たち夫婦の3名。添乗員は若い20代の女性(原田知世似で可愛いと夫が喜ぶ)。
利用航空会社はあの恐怖のチャイナ・エアー。機内食も最低で缶ビールはぬるく、ワインもありません。それでも遅れることなく北京に到着。乗り換えの時間が長く、免税店などをウィンドーショッピング。見たこともない果物が並んでいたので、写真を撮ろうとしたら店員さんが駄目と言うので、思わず「ケチやね〜」(関西弁がすでにうつってしまいました)

真夜中にウルムチ到着。空港での待ち時間が長いので結構疲れました。これならヨーロッパ行くのとあまり変わりないみたいね~というと夫は不機嫌に・・・。当初の計画ではウルムチから観光が始まるはずでしたが、南彊鉄道のタイムテーブルが変わり、直前に反対周りに変更。それで、空港の近くのホテル↓に泊り、翌朝はトルファンに向かいました。
 

タグ:ウルムチ
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2007.9 中国西域絹の道 トルファン(2) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/19(水)ウルムチ〜トルファン  トルファン大飯店2泊

朝食はお粥や饅頭などをいただいてふと外を見ると、ホテルの前の小さな公園に数人の老人たちが太極拳をやっています。中国に来たという実感がわいてきました。今回は中国の西端、新疆ウイグル自治区を巡る旅ですから、普通の中国のイメージとは異なったところであることが、この後徐々に認識することになります。

バスでトルファンまで国道312号線(上海からイーニンまでほぼ中国大陸を横断する国道)を走ります。新疆ウイグル自治区の北に位置する天山山脈からトルファン盆地へ。途中の風景で珍しかったのはアジア一大きな風力発電所。渇いた大地に何本もの風車が立っています。



天山北路のオアシス、トルファンは火州と呼ばれるほどの気温の高い低い盆地にあります。今年は50度の日もあったとか.....。まず、交河古城の見学。 さすがに暑く、初秋の北海道からやってきた身には坂道を登るのがきつく、ふたつの河の中州に岩を掘り出して造ったという遺跡を少し巡ったら、夫がまずギブアップ。下の入り口にあった休憩所に戻ることにしました。スイカ屋さんで休憩。4分の1(12元/200円くらい)をオーダーするとテーブルに持ってきて、目の前でバッサバッサと豪快にカット。美味!!

 

  

トルファンの町に入り、遅めのランチ。暑いから「とりあえずビール」。お皿はいつも10皿以上は並びます。野菜の炒め物が美味。油を多く使った料理が主体なので、温かいお茶を合間にどんどん補給したほうが良いらしいのです。冷えたビールとこちらの料理は本当は相性が悪いようです。後半になっておなかを壊した方が何人かいらっしゃいました。私も少し変だったのですが、正露丸を早めに飲んで事なきを得ました。
果物はちょうど収穫の時期でもあり、デザートにはスイカ、ハミ瓜、ザクロ、イチジク、ぶどう、梨、桃と毎回1〜3種類がテーブルに運ばれ、フルーツ大好き人間の私は大満足でした。

 

         

 この後はバザールの見学。羊が丸ごとぶら下がっている肉屋、ひょうたん屋、八百屋など。

        

      

 


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2007.9 中国西域絹の道 トルファン(3) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/20(木) トルファン2日目

トルファンから40キロの高昌故城の見学。物売りが煩い入り口からロバ車に乗って 行きます。(約10分)
この日はさすがに中国一暑いトルファンなので、気温は35、6度。それでも空気はドライなので、日陰にいれば過ごしやすいのですが、若いツーリストたちは徒歩で回っていました。ロバ車はいったん引き返し、30分後に迎えに来るシステムです。考古学に興味のある人にとっては当然30分では物足りません。この広大な遺跡の見学は徒歩またはロバ車貸切で回ることが必須でしょう。


漢代から1、000年栄えていた高昌国の都市 遺跡。ほとんどが土の固まりと化しています。三蔵法師がインドに仏典を求めて旅する途中、2か月ほど滞在したことでも知られています。私たちはその説法を行った寺院だけ見学しました。天井は落ちて(多分ドーム形だったのでしょう)見上げると青い空が広がっていました。寺院の前には有料?モデルさんたち。
     

最初に1泊したウルムチは漢族が多い、新興のビジネス都市ですが、ここ天山北路のトルファンにくると圧倒的にウイグル族が多くなります。ウイグル族と一口に言っても、そのルーツは複雑。モンゴル系、インド系、トルコ系、ロシア系と再興と衰退を繰り返した西域のさまざまな王国の歴史とともに現在に至っています。中国は少数民族優遇策をとり、資源豊富なこの地域の開発に手を打っている状態。ウイグル族の現地ガイドの話では自分達の文化や宗教、暮らしを守ることの意味は私たち日本人には想像できないほど大きなようです。単的にいえば欧米的生活の向上以上に守りたいものがあるのです。(わかるけれど、不潔なトイレだけはなんとかならないのかしら・・・ 苦笑)
アフガニスタンやイラクの問題を考えても、私たちの信じる民主主義だけが彼らの幸せではないのです。そこのところの理解なしに武力介入に頼ろうとするやり方には絶対!!無理があります。この地からシルクロードが続く西の彼方の国々の現状に心が痛みます。平和なシルクロードを一般のツーリストが旅できる日が来るのでしょうか・・・鉄道が好きなので、西安からローマまで繋がった鉄路を夢見ていたのですが・・・。
昼食をはさみ、火焔山のポイントで撮影タイムのあとはベゼクリク千仏洞とアスターナ古墳の見学。火焔山は夕方に来るともっと良い写真が撮れるようですが、ハード・スケジュールのため無理でした。ここへくるまでは火焔山は一箇所の山と思っていた無知な私でした。(笑)
東西100km南北10km平均海抜500mの山地。「西遊記」にも登場することで有名。
     
火焔山の近くにあるベゼクリク千仏洞はお正月ころ?にNHKの特別番組があり、剥がされてドイツへ運ばれた仏像や壁画の再現映像が素晴らしかったのと、仏教だけでなくマニ教の聖地であったこともあり、興味しんしんでした。内部は撮影不可。後室と呼ばれるロマネスク教会で言えば巡礼のまわる祭室が遮断されているのが残念でした。無残ともいえる傷ついた壁画にうっすらと残る金箔やラピスラズリの青の輝きが古の祈りの場を偲ばせます。高昌国(460~640)の最盛期に初建され、唐の時代に発展。9世紀にマニ教を信じていたウイグル族がトルファンに移住したことで、マニ教の文献、壁画などの遺物が発見されました。しかし、14世紀末にはイスラム教の破壊により遺棄されてしまいます。20世紀初め、ドイツのベルリンに持ち去られた壁画は一部は第二次大戦の戦火で焼失。残ったものはベルリン郊外のダーレム(民族博物館)に収蔵。来年ベルリンへ行く機会がありそうなので、寄ってみたいと思っています。
     

遅めの昼食は市内のレストランで。初めてシシカバブ(羊の串焼き)がでました。
トルファン郊外のぶどう農家を訪問。おやつに葡萄やハミ瓜などいただき、住居も見せてもらいました。干しぶどうも自家製なので3種類購入。 写真の四角い建物は葡萄を干す部屋で格子状の穴が開いています。
     
     

夕食はホテルのレストランで。食後の散歩にバザールと噴水を見に行きました。今日は盛りだくさんのスケジュールでした。
     
          

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2007.9 中国西域絹の道 南彊鉄道(4) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/21(金)南彊鉄道でトルファンからコルラへ   銀星大飯店1泊

午前中は希望者だけカレーズと呼ばれる地下水路の見学。私たちは昨日の疲れと午後からの長い汽車の旅を考えて、ホテルでのんびり過ごしました。朝食はほとんどがお粥などの中華風なので、美味しいコーヒーを飲めません。(田舎のホテルはコーヒーそのものが用意されていません)それで私たちは紙ドリップ式のモンカフェを日本から持って行きました。これは正解でした。湯沸しはほとんどのホテルに備え付けてあり、毎朝出発前のひとときをコーヒータイムでリラックスできました。
写真はトルファンのホテル
     
早めのランチはホテルのレストランで済ませ、トルファン市街からバスで小1時間ほどのトルファン駅へ。ここでは荷物を運ぶポーターがいないということでしたが、屈強なおばさんを含むアルバイト?数名が現れて、2階の待合室まで&ホームの列車までを運んでくれました。 
     
鉄道好きな私が砂漠の次に楽しみにしていたのは南彊鉄道。ウルムチからカシュガルまで全長1600km。そのうちのいち部分トルファンからコルラまでの450kmを乗車しました。天山山麓を走るのでトルファンを2時に出発して、コルラには夜11時に到着。9時間の汽車の旅です。
座席は軟座と呼ばれる2段ベットが両脇に2つの寝台車。広島から参加された同年代のご夫婦と相席になり、楽しくおしゃべり。トランクを上のベットに置いて、下のベットで夫と交代で横になって過ごしましたので、思っていたよりラクチンでした。しかし、高度3、000mのトンネルを通過する時は息が苦しくなって、耳がきーん。ごく軽い高山病の症状がありました。
車窓の風景や食堂車での夕食も思い出になりました。食堂車で日本人の年配の男性ばかり数人が隣の席に。中国産のワインを持ち込んでいましたが、食堂車には栓抜きが置いてなくて諦めていました。グループで現地ガイドをやとって、シルクロードの旅をしているそうです。大人数のツアーと違って、趣味のお仲間だけの旅はとても楽しそうでした。
     
     
     

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2007.9 中国西域絹の道 クチャ (5) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/22(土)  コルラからクチャへ

コルラはタクラマカン砂漠の北に位置しています。砂漠の石油開発のための企業が多く、近代的な都市。宿泊したビジネス客の多いホテルもかなり高級な宿。久しぶりに美味しいパンとコーヒーにありつけました。しかし、この街は観るべきところはあまりないようです。鉄門関という4世紀の砦が郊外に残っているのですが、私たちのツアーは寄らないで、クチャに直行しました。
写真:コルラのホテルからの眺め&デパート
    
 コルラから西域北道を西へ走りクチャへ。280kmのルートを途中スピード違反で捕まったりで、数時間かかりました。
途中の風景はいくつかのオアイスの村を通過しながら、水辺に葦や紅く色づいた珊瑚草、梨などの果樹園、綿畑など飽きることなく眺めました。バスからの撮影は道路がガタガタ舗装のため、ほとんどぶれてしまいました。
   
ようやくクチャに到着。スバシ故城へ。
見学していたのは私たちグループとCCTV?(中国のテレビ局)のカメラマンたちだけ。ここはクチャ河(水は流れてません)をはさんで東寺区と西寺区に分かれています。(現在東寺は調査のため見学不可)。玄奘の「大唐西域記」に登場した寺とされ、キジ国最大の寺院遺跡です。キジ国は紀元前の前漢時代に登場したオアシス都市国家で10世紀ころまで繁栄。仏教が東へ伝わる道筋のなかでも重要な位置を占めています。そのためクチャ近辺は仏教遺跡の宝庫となっています。

バスに乗っている時にぱらぱらと雨が降ってきましたが、見学中は曇り空。涼しいのですが、気候にどこか違和感が・・・。現地ガイドさんの説明では私たちは砂に守られているというのです。確かに普通の曇り空ではなく砂のヴェールがかかっているのでした。それでおぼろな太陽。
ほとんどが建物の原型をとどめない岩石の残骸とはいえ、干上がった河(乾河道)の向こうとこちらの仏塔の眺め。遷り行く時の流れをしみじみ感じました。入り口の記念碑にはここは日本の大谷探検隊も入ったと記されています。出土した文物の行方は?
   
   

どこもひどいけれど、ここのトイレは最悪。以後、先に入った人が駄目と×判定すると、皆でならんで青空トイレ。2月のチュニジアは飲み仲間、中国はトイレ仲間。(爆)

ホテル内のレストランで夕食の後はクチャ美人の民族舞踊を楽しみました。ウイグル族のなかでもここは美人の多いことで知られています。最後は皆でダンス。
 

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2007.9 中国西域絹の道 クチャ(6) [2007秋シルクロード西域の旅]

 
9/23(日)
クチャからキジル千仏洞までの道(75km)は一応は鋪装されているがガタガタ道。工事中のため回り道も多く、たっぷり3時間以上はバスに揺られて・・・。(軟弱な腰が悲鳴をあげそう)
途中、道路を拡げるために荒削りされた崖が覆いかぶさるような狭い峡谷が続きます。見上げるといまにも巨石が落ちてきそうです。雨の多い日本では到底考えられない難所を時速2、30キロで走り、予定より大幅に遅れて到着。途中の工事現場では新しい橋やトンネル工事などが見えました。
 
            

ここキジル千仏洞は清流(イカン河)の畔にあり、ポプラ並木に食堂、ホテル、住居(ここの案内人たちの寄宿舎もある)が点在しています。
崖に掘られた千仏洞の見える広場にシルクロードを旅した高僧鳩摩羅什(クマラジュー4世紀)の像。鳩摩羅什は7世紀の玄奘三蔵とともに中国仏教の発展に大いに尽くした僧侶。キジ国に生まれ西域諸国を巡り、数々の経典を訳しました。


日本語のできる若いガイドさん3人が案内役。私は最初のグループに入って早速石窟を上り見学。数カ所の見学が終わりましたが、お目当ての伎楽天が見当たりません。それでガイドさんに尋ねましたら、38屈にあるが、特別料金(100元1、600円)がいるというのです。参加希望は私だけでしたが、最初のグループでもあり、時間的に何とかなりそうと、案内してもらいました。
38屈(4世紀)はそれまで鑑賞してきた壁画がふっ飛ぶほどの素晴らしさ。ガイドの若い男性もさきほどの事務的な説明からみると熱の入った説明です。眼が輝いていました。(笑)
天井の天相図には月と太陽、金の翼を持った鳥、風神など。これを中心に左右対称に主題別に描かれています。あふれる青(アフガニスタン産のラピスラズリ)を主体とした色彩はとても華やか。題材はいかにも仏教らしい捨身の精神性、釈迦の説法に歓びを表現する東方のビーナスと呼ばれる菩薩の美しい肢体。まさにインド、やその向こうの西と東の中国が交叉する美です。ガンダーラ美術には全く疎いのですが、ここの女人像を見ていると、興味がわいて来ました。帰国後ドイツに持ち去られた壁画を調べていたら、ベルリンのインド美術館に収蔵されているようです。訪問することができたらキジルのものと関連して観ることができそうです。撮影不可なので画像をアップできないのが残念です。
8窟にあった伎楽飛天で7世紀のもの。上の黒い飛天はお盆から散華、下の白いほうは五弦琵琶を弾いています。(ネット上にあったものを1枚だけ)

日本語訳のついた本をホテルのショップや博物館で購入しました。なるべくなら、ベルリン訪問を果たした後にHPのほうにでも特別篇を作成したいと考えています。
それにしても、これほど過酷な自然と戦いながら、描き続けた画僧たち....ヨーロッパのシトー派にも通じる厳しさです。そして僧たちが住民たちが守ってきた信仰のよりどころもイスラム教の侵攻にもろくも崩れ去ってしまいます。そのあとは文化大革命の紅衛兵たちの破壊もありました。

夕食は現地ガイドさんがホテルは美味しくないよと連れていってくれたクチャ市内のレストラン。旅の中で一番美味しい食事でした。ラグ麺、サモサ、シシカバブー、デザートはいちじくと葡萄。
↓クチャ近郊&夜のバザール風景。
  
 
 
 


 


 

 

 


 

 


 

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2007.9 中国西域絹の道 タクラマカン砂漠横断(7) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/24(月)
いよいよ今回の旅のハイライトの日です。昨日はバスに長時間揺られたため背中も腰もバンバンに張ってしまいました。それでも湿布を何枚も貼って休んだお陰でなんとか行けそうです。夫も「僕は大丈夫!」と嬉しそうです。

クチャから砂漠公路のゲート(写真)まで天山山脈を左に眺めながら、らくだ草だけが生えている荒涼とした風景のゴビ灘(タン)を東へ2時間ほど走りました。そして南に進路を変えしばらく行くと緑が少なくなってきて、砂漠入り口のゲートが見えてきました。

この砂漠を南北に横断するハイウエイは完成は1995年というのに、突貫工事だったのか?すでに鋪装の痛みが激しい。日本のハイウエイのスムーズな走り心地とはまったく別物です。ほとんど前の座席の取っ手に摑まりながらのドライブでした。周辺には石油のコンビナートがあるため、住民のためというより石油輸送のための道路だと現地ガイドさんが説明。



不思議だったのは出発前に「地球の歩き方 シルクロード」を購入したのですが、この砂漠のことはまるで載っていないのです。それでGoogle Earthで覗いてみました。しかし、砂漠公路を発見するまで相当な低空まで接近しなければなりませんでした。その広大な砂漠のなかの極細い一本の線のハイウエイを今、走っていると思うとわくわくでした。バスのバック・ミュージックはもちろんあの曲です。(笑)

本当はここの横断に10時間かかるというので、いつもは途切れ途切れにしか聴けない長大オペラをいくつかipodに入れて用意していたのですが、出発寸前まで充電していたため、うっかり忘れてきてしまったのです。

さて、ゲートをくぐりしばらくするとタリム河。橋は歩いて渡りました。流砂の美しさで知られるタクラマカンは2度ほどトイレ休憩をかねて(もち青空トイレ)それぞれ2、30分散歩しました。砂丘を斜めに歩くとあまり埋まらないで済みます。けれど、一度はよろけてカメラをずぼっと砂に....。三脚まで抱えて参加されていた写真愛好家のかたに、砂を吸い込むカメラ掃除機を貸していただいてなんとか故障せずに済みました。エジプトで砂嵐にあって、カメラが故障した経験がありますのでヒヤヒヤでした。



道路の両側はタマリスク(紅柳)や胡揚の緑が続くグリーンベルトになっています。。そのための水は全部で100か所くらいある井戸(管理棟)から細い管を伝わって 補給される仕組み。そのなかの一軒の管理棟を見学しました。中年のご夫婦が住んでいます。休みは年に2回、一週間に一度食料の配給。電球はあるが(家の裏に太陽発電の板)、テレビもなく淋しいと言われてました。それで、おやつに持っていたお菓子をプレゼントしましたら、喜んでいただけたようです。

ランチは中間地点にある塔中というオアシスで。もういろいろな炒め物に飽きた頃だったので、みんなでトマトと卵の炒め物をラグ麺にかけるだけで良いので、他はいりませんと断わりました。胃を休めることができました。中国はご馳走を残すのが礼儀とのことですが、勿体無いとつい食べ過ぎてしまいます。ここは手打ちらしく、讃岐うどんのようなこしのある麺が美味。冷たいビールやハミ瓜に砂漠の真ん中なのにと感心。



ニヤ遺跡の入り口で休憩(道路ぞいに民家が3軒)。姉と弟が紙風船をもらって嬉しそう。

ニヤ遺跡は普通のツアーでは訪れるのは難しいとのこと。ここから100キロ、道らしい道もない難所だそうです。入場許可も高額なのでその道の専門家くらいしか訪れないのでしょう。20世紀初めにイギリスのスタインによって発見され、大量の文物が持ち去られました。(大英博物館)1988年からは日中共同の調査隊により、数多くの貴重なミイラ(精絶王室の古墳から)、3~4世紀の仏教遺物などが発掘されています。

ここからしばらく走ったところでスピード違反とバスを止められました。ところが運転手の助手さんが降りて、まもなく発車。あら〜置いていってしまうの?するとガイドさんは少しも慌てず、「もうすぐ夕食だから、タクシーでお巡りさんを乗せてニヤに帰り、飲み食い驕れば違反金ちゃらです」と...。ここはたかり、わいろの横行する共産主義の国です。そういえば、2、3日前のトルファンの近くでもスピード違反で捕まったのです。初めは違反金1、000元と言われ、値切って200元になった経緯も...。ネズミ取りはほとんど小遣い稼ぎなのね〜。

ほぼ10時間かかってニヤに到着。ここがこの旅では一番小さな宿泊地。ホテルは期待しないでといわれて、ぼろい小さなホテルに到着。まずここのレストランで夕食しましたが、トイレに行った人たちが、収容所のトイレみたいにひどい(って入ったことあるのか?)と騒ぐので・・・覚悟を決めました。でも3★の宿だから部屋にトイレくらいついているのではと不安になりながらも、意外に美味しい料理に満足。そこへ添乗員が現れて、泊るのは別のホテルでここからバスで5分というのです。やれやれ作戦だったの...着いたホテルはまあまあ。しかし、お湯はこれから涌かしますといって1時間くらいしてから入りましたが、お湯は一人分で夫の後の私はぬるま湯。翌朝のシャンプーも当然水。夜中は停電。

 


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2007.9 中国西域絹の道 ホータン (8) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/25(火)
西域南道をニヤからホータンまで。(350km)途中小さな町ケリヤのバザールに寄りました。この旅ではいくつかのバザール体験をしましたが、ここが一番印象に残っています。というのはラマダンの時期だったので、大きな町の夜のバザールは昼間の断食に耐えた人々が屋台に群がって、いささか殺気だっていたのです。でも、ここは昼間だったこともあり、のんびりムード。ナンを焼くパン屋さんの家族の写真を撮っていると、ガイドさんが一枚ナンを買ってごちそうしてくれました。焼き立てはやはり美味。

干上がった川の橋に座っていたおじいさんたちの写真を撮影。「クーイーパイチャオマ?写真を撮ってもいいですか?」ガイドさんにもらった中国語のアンチョコを見ながら...。ウイグル語でないので、全然通じなかったみたいですが、にこにこと許してくれました。(と推察)

バスの側に帽子の物売りがきました。見るとこの辺の部族が被る世界で一番小さな帽子(紙コップくらいの大きさ)です。帽子で何族か分かるというのが面白いです。ツアーのなかで帽子の好きな方が買おうかと迷っているうちにバスは発車。このあとの町ではずいぶん探したのですが、あのチビ帽子はあの町でしか売っていないようで、とても残念がっていました。

ホータンでのランチは街中の食堂で。またまたウイグル族のガイドさんが「ホテルのレストランは美味しくないです。私はお金もらってもたべたくないです」といって連れて行ってくれました。確かにラグ麺、シシカバブー、フルーツと美味でした。

 このあとはマリカワチ故城へ。ポプラ並木の村から待機していたロバ車でゴトゴト揺られながらのんびりのはずが。。。物売りの小さな子供たちがずーっとついてくるのです。そのしつこさに呆れ果てました。そのなかで写真の少女だけはなぜか物売りをせずにただついて歩くだけでした。学校は日本人が来ると休みになるというのですが・・・。(お祭りでないのだから...)ゆっくり遺跡の見学もできませんでしたが、ここも岩の固まりが残っているだけ。法顕も3ヶ月ほど滞在していたという寺跡もすっかり崩れ果てていました。

この後はタクラマカン砂漠の砂丘を駱駝で散歩。夕陽が沈む頃でちょっとロマンチック。私の乗った駱駝もまだ子供で前を歩く母らくだにべったり...可愛かったのですが、ダニに刺されてしまいました。 (泣)

夜は街の中心のバザールへ。昼間の断食が解禁になり、食べ物の屋台に殺到する人々。美味しそう〜な麺、鶏ピラフ。羊のソーセージなど。エジプトや中近東のラマダンと違うところは女性や子供も多いこと。賑やかですが、一歩裏通りはアラーの神に祈る姿が・・・異国で見る満月が光っていました。


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2007.9 中国西域絹の道 カシュガルへ (9) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/26(水) ホータン~ヤルカンド~ヤンギサル~カシュガル     チニワク賓館2泊

旅も後半になり、疲労のためか時折頭痛がしたり、腰にもやや鈍痛が・・・。それにもめげず、朝のユルンカシュ河で玉(ぎょく)探しに勤しんだ欲張りな私です。春の崑崙山脈からの雪解け水が少なくなった今が宝探しに好適とのこと。何人かの暇な人たちまたはプロがうろうろしています。持ち時間30分ほどで全員収穫なしで引き上げとなりました。一攫千金の夢破れ、バスに戻る私たちを見つけ、めざとく集まってきた物売りの少年たち。そのなかからとても安いので偽物だろうけれど、白い玉のついたキーホルダーを購入。
↓ホータンのホテル玉都酒店
ホータンから西へ。カシュガルまで550キロ。どこまでも続く荒涼としたゴビ灘と不意に現れるポプラ並木のオアシスの村。玉蜀黍を収穫する農家や水田の風景など。西域南道に沿って鉄道建設予定の看板が見えました。ガイドさんが2年後に開通するはずと説明。でも、まだ工事をしているところは見当たりませんから無理でしょうね。北京オリンピックが終わったら、南彊鉄道のように鉄道工事専用兵隊さんたちが突貫工事するのかも...。

ヤルカンドで王宮や清真寺を外観のみ見学。ヤルカンドも漢代にはオアシス都市国家のあった歴史のあるところ。
次はナイフの街インギサールへ。ナイフ工場の見学。昔からの手作業で作られているが、ここで小さなナイフを購入した人の話では直に鞘が壊れたとか・・・。今は中国でもドイツや日本製の精巧な鋭い切れ味のものがでまわってきているのではないでしょうか。いつまでこの工場が持つのかと心配になりました。
さて、夕方になりようやくカシュガルに到着。街の中心には文明の十字路と呼ばれる大きな交差点があり、中国の西の端に来た実感がわいてきました。
宿泊するチニワク賓館は高層の新館に古びた旧館が小さな広場に面して建っています。どちらに泊るのかしら....。そこを素通りして、その旧館の裏へ。昔はイギリスの領事館だったという木造の建物がレストランになっています。奥のボウウィンドウのテーブルに着席。写真は食事風景。
後から来た人たちがずいぶん遅れてきたのでどうしたかと思っていると、ホテルの前の広場からここが見つからなくて、いつのまにかガイドさんも私たちも見えなくなって探したそう。そういえば看板も無く、レストランの前は木が茂っています。食事が済んで外にでたら、玄関前は灯りも無い暗闇。広場に回ると宿泊するのは新しいほうとわかって一安心。ガイドさんが泊った旧館にはダニがいたそうで...お気の毒でした。ただし、新館でもトイレの水が流れないなどのトラブルが多々。私たちの部屋も翌日バスタブの上から水がザーザー降ってきて、別の部屋に引っ越しというあわただしさでした。

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2007.9 中国西域絹の道 カラクリ湖(10) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/27(木)
朝はどんよりした曇り空でしたが、カラクリ湖に近付くにつれて快晴になってきました。北京から添乗のスルーガイドのSさんがこんなに良い天気のカラクリ湖は10回のうち1回くらいの確率とのこと。夫も私も晴れ男、晴れ女なので目をあわせて「やっぱり!」


パミール高原に入る最後のオアシスの村ウパールで朝市の果物をショッピング。ナンや梨が美味と朝食後1時間もしていないのにぱくぱく。そういえば旅の間は食事制限のない夫も、私も途中で1キロ体重が増加していました。皿数が多いのでついつい箸がのびてしまいます。

左に水の干上がったガイズ河を眺めながらさらにパキスタンの国境への曲がりくねった峡谷の道を走ります。川岸にはヤク、羊、駱駝の放牧風景。右手の岩山には火焔山より鮮やかに赤いオイタク山に驚き、木が一本も生えていない、種々の鉱物の眠る山脈の雄大さにも唖然。検問所(まだ中国国内なのにパスポート.コントロールがある)を抜けるとそろそろ、高度3、000メートル、少し息苦しくなってきました。早速150元払って用意してもらった酸素枕を使用。息が楽になり、鈍い頭痛もとれました。


ブルン湖↓で写真ストップ。素晴らしい風景に夢中になり、気がつけばバスが出そう。あわてて走り出そうとする私に添乗員さんがバスから降りて叫びます。「走らないで〜!!」ああ、そうでした。以前泥棒を追いかけた人が、走ってばったり倒れたという話を聞いたばかり...ハーハー深呼吸。
さて、カラクリ湖(3、600M)に到着。青い水を満々とたたえた湖に白い峰の山々(ムスターグ.アタ7、546M)が映えてとても美しい眺め。湖畔には土産物屋や湖散策用の駱駝や驢馬が待機していて、意外に観光化されています。パオのレストラン(写真)でランチ。


標高が高いので、セーターやコートも着て用心してきましたが、身の切られるように冷たい風が厳しく、寒くて震えがとまりません。湖畔の散策もそこそこにバスに乗り込みました。ここからさらに進むとクンジュラブ峠(4、943M)に到るのですが、私たちは元来た道をカシュガルへ戻りました。
部屋に戻って着替える暇もなく夕食。元のロシア領事館だった建物のレストランで。
こちらの方が昨日の旧イギリス領事館より立派でした。両国の領事館が置かれたのは19世紀後半から今世紀初めにかけての帝国主義の時代。崩壊間じかの清朝の統治能力は地に落ち、この地方の政権を狙ってロシアと英国は虚々実々の駆け引きを展開したのでしょう。また辺境を目指してやってきた探険家や外交官たちはここを頼りにしたはずです。映画のワンシーンのようにここを出入りした人々のざわめきが聞こえそうでした。

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2007.9 中国西域絹の道 カシュガルからウルムチへ(11) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/28(金)
今日は夕方のウルムチ行きのフライトまでカシュガルの市内観光です。
まず、18世紀清朝乾隆帝に嫁いだナツメの香りを漂わせていたという香妃の墓へ。付属のモスク(上と中の写真)から薔薇の美しい庭園に入ると香妃一族の墓があるモザイクタイルの建物が建っています。正確には清朝に嫁いだ香妃は故郷に帰ること無く北京で亡くなったようですが・・・。たかが200年前の史実が脚色されたのは香妃の故郷を想う気持ちに添ったこの地の人々の優しさかもしれません。
この後はエイティガール寺院の見学。15世紀に創建された左右にミナレットを持った黄色の壁が美しい建物。壁面に抽象模様の細密な彫り物。靴を脱いで礼拝室に入ってみますと、ひとりの僧がお祈りの最中でした。中近東や北アフリカのイスラムとは異なる仏教の残影をかすかに感じられます。東洋のイスラムらしい木造のモスクには今まで観てきた石や岩のモスクにはない親しみを感じました。
 
この別名清真寺の裏手には職人街が広がっています。一歩路地を入れば、旧市街です。日干しレンガの民家が狭い通りに並んでいる一画。絵になると思ったのに見学途中に夫にカメラを預けていたので、はぐれてしまって機会を失い、少ししか写せず残念。
旧市街の立ち退きは北京の胡同だけと思っていたら、ここも近い将来は味気ないアパートになる計画が進んでいるとか。中国は政治は共産主義、経済は自由主義だから、土地は国のものと強行突破するのです。こういう話はこれからも多くなるのでしょう。体制は違えど日本のいつか来た道...経済成長を重んじた結果、美しくない日本の町並みになってしまって・・・。
中国にきて気がついたのは今まで観たところでは政府機関と軍、警察の建物ばかりが立派。ウイグルをはじめ少数民族の不満は潜在しているのでしょうね。
幼稚園の子供たちの民族舞踊を見学。美人の多い土地柄ですから、幼稚園の先生たちも美人ぞろいでした。しかし、観光客のために幼稚園児や先生が踊るのはなんか変。
ランチを済ませたあとは、バザールへ。買い物嫌いの夫はまたバザールかと渋い顔。ガイドさんの案内する乾物屋で乾燥ピスタチオとイチジクの買い物。そのときの試食では美味しかったのに、帰国後トランクから出してみたら、埃っぽくて不潔...。すべて洗ってから口に入れることになり、なんだか美味しくないのです。そのうち日本の湿気にやられて変色してしまい、ゴミ箱へ。(涙)


さて、一路、この旅で最初に立ち寄ったウルムチへ(1時間半)。飛行機からの天山山脈の眺めはどこまでも続く岩や砂の織り成す奇景。西域の旅の終わりにふさわしい荒々しくも美しい大地。今までの旅ではどこにも観られなかった風景を目に焼きつけました。


ウルムチは新彊ウイグル自治区最大の街。ガイドさんの説明に寄るとここ10年くらいで玉蜀黍畑や羊の放牧地が一変、近代的な町並みに変わったそうです。ホテルに入る前に途中のレストランで夕食。
宿は5★の海徳酒店1泊

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2007.9 中国西域絹の道 ウルムチ(12)北京経由で帰国(13) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/29(土)
久しぶりに豪華な5★の朝食をのんびりいただきました。写真はホテルのロビーとホテルの前の広場。
そして夕方の出発までウルムチの市内観光。ここは世界で最も海から離れた都市として知られています。オアシス都市としては古くから遊牧民の支配下にありウルムチ(緑の牧場の意)と呼ばれていました。中国の王朝との興亡を繰り返し、中華人民共和国建国後は西域の中核都市として飛躍的な発展を遂げます。文化的な歴史が浅いので博物館以外は特に観光するところはなく、朝は紅山公園に行き小高い山の上に登り(電気自動車で)市内を一望。高層ビルが建ち並び、周りには白い雪を被った高い峰々や岩山が聳えています。
新彊ウイグル自治区博物館↓は2年前建て直しされ、最近発掘されたミイラを含め旧石器時代から清朝までの文物が展示されています。

日本にも来た「桜蘭の美女」(紀元前18世紀)の他にも同時期の子供のミイラや紀元前8世紀のヨーロッパと蒙古の混血のすらっとした女性、同じくヨーロッパ系の男性、トルファンのアスターナ古墳(見学済み)から発掘された身分の高い役人のミイラとその生前を再現した人形など。桜蘭やミーラン古墳の大画面の写真や模型など、臨場感のある展示。
他には1995年にニヤ遺跡から出土された後漢時代(25〜220年)の上腕掛けの錦。青い地に黄色、白、赤、緑の配色。花、鶴、竜、虎などのオリエンタルな華麗な図案が素晴らしい。その他の織物も、雨の少ない自然条件が幸いして古墳墓の土の中で保存され、出土されたものが多く、最も古いのは紀元前2000年頃の毛織物でその織り方も多彩。そしてシルクロードの名にふさわしい前述した錦に代表される古代の絹織物。織り込まれた珍獣や花紋を眺めていると、自然に西域からペルシャを経て古代ローマまでの絹の道、そしてロマネスクにも通ずるオリエンタル文様の面影が見えてくるのです。
ブックショップで日本語訳もあるカタログを購入。重いので当然夫が持ってくれます。こういう時お伴がいるのは助かりますね。いつもは一人旅で美術館の案内書や展覧会のカタログの重さに閉口していますから・・・。

ランチは市内のレストランで。今夜は遅くに北京到着になります。ツアー最後のディナーが機内食という侘びしさになりますので、ここウルムチのランチが豪華版となりました。羊の丸焼きが堂々?と運ばれてきました。なるべく羊の顔を見ないようにして、コックさんがカットしてくれた肉をいただきました。味はまあまあ。本音は北京で本場の北京ダックが食べたかったです...。
飛行機の出発まで時間があり、空港への道路沿いの郊外のスーパーを見学。肉や野菜など生鮮食品はバザールで売るので、ここは袋詰めになった干しぶどうやお菓子、得体の知れない乾燥食品が埃を被って並んでいるだけ。さっさと切り上げ空港へ。空港ロビーにマッサージ機が並んでいたので30分もみもみ。(有料)
チャイナエアーの酷い機内食にうへ〜食欲ゼロ。美味しくないとまったく口が開きません。今まで食べ過ぎたので、ここでダイエットと思うことにしました。(遅い!)
3時間半の飛行時間の後、北京のホテルには10時過ぎに到着。さすが大都会、ネオンも眩しく、車も渋滞。
長安大飯店1泊
9/30(日)
ツアーでは飛行機の座席の選択はできないのが不満なのですが、北京からは個人チエックなので夫も私も通路側を選べました。夫は心臓病の利尿剤のため、午前中はほぼ1時間〜2時間でトイレに行くことになるのです。チャイナエアーは特に座席間の余裕が無く、隣席の人に気兼ねをするのでほっとしました。

飛行時間2時間40分で関空到着。札幌便まで時間があるので、旭川から一人で参加されたDさんもお誘いして、旅の話をしながらゆっくりランチ。蕎麦と混ぜご飯のセットが懐かしい味。
蓬莱の豚まん、赤福餅、讃岐うどんとここの私の定番おみやを買い込むました。<補記 このあとまもなく赤福もち騒動があったのですが、このときは結構美味しいと食べてました。(苦笑)蓬莱の豚まんのほうはずいぶん味が落ちて、豚肉も少なかったです。>
札幌は今日発った北京と同じくらいの気温。時期的にはやや暖かいほう。旅の間はカラクリ湖を除いては真夏から初秋の気候だったので、過ごしやすく快適。体力的にはバスの時間が予想外に長く、きつかったのですが、胃やおなかもそう丈夫ではない私ですが、清潔とはいえない中国でも下痢などしないで済んだのは上々でした。夫も自慢そうに?自分の心臓の手術のことなどおしゃべりしましたが、それにしてはとツアーの皆さんにびっくりされるほど元気に旅ができました。
こうして結婚40周年の記念の旅も家にいるときほどは夫婦喧嘩もしなくて、めでたく終了となりました。

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