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北アフリカの旅2007冬 ブログトップ

2007冬の旅 北アフリカのチュニジア(1) [北アフリカの旅2007冬]

1/26(金) 札幌7:50~羽田9:20/成田14:00~ミラノ18:30/21:10~チュニス23:05

 冬の旅で一番心配なのは天候です。吹雪で飛行機が飛ばなかったらどうしようと、1週間前くらいから天気予報をチェックしなければなりません。幸い出発当日 は晴れ。照る照る坊主のTerukoにふさわしい旅立ちになりました。しかも成田の第一ターミナルには夏の国内移動より1時間近くも早く到着しました。ツアーの集合時間にはまだ早いけどと思いながらも行ってみましたら、すでにW社の添乗員や荷物の世話係が待機していました。アリタリアのマイレージもお願いできて、いや~ツアーはラクチンです。ノースウエスト航空などとのスカイマークグループのビジネスラウンジで休憩。アリタリアはほぼ定刻に離陸しました。

アリタリアのマニフィカクラスは初体験。広々とした空間。椅子も以前乗ったJALよりも快適で贅沢な気分。さて、ウエルカムドリンクは・・・ジュースとワインだけ?シャンパンがでません。ビジネスクラスにしては破格のお値ごろツアー なので私たちだけパスされたかと一瞬疑ったのですが、そういうわけでもなさそうでした。食事のほうは出発前に添乗員から連絡があり、往きは日本食とのことで了解していました。しかし、この日本食が貧弱(エコノミーに毛がはえたというレベル)なので、隣席の方とワゴンで回っていた果物やチーズ をリクエストしたのですが「日本食をチョイスしたかたにはついていません」とつれないこと・・・仕方なく余ったら頂戴ねとお願いして、おこぼれをいただきました。(情けない)ワインはトスカーナ、シシリー、マルケと揃っていましたので、隣席のYさんと自棄飲み状態・・・以後飲み友となりました。(笑)

 ミラノで乗り換え、深夜チュニジアの首都チュニスに到着。冬の札幌からそのままのオーバーコート姿でしたが、ミラノの乗り換え時もチュニスも意外に寒かったので、丁度良かったです。  シリア・ヨルダン以来の久しぶりのイスラム圏なので嬉しくてドキドキしながら、欧米とは異なる町並み、人々をバスから眺めながら中心街のホテル(EL MOURADI AFRICA)へ。写真は翌朝ホテルの部屋から撮りました


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2007冬の旅 チュニジア(2) [北アフリカの旅2007冬]

1/27 (土) チュニス市内観光
宿泊したアメリカ系大型ホテルの前の大通りは濃い緑のベンジャミンの並木道です。その先に凱旋門があり、それが世界遺産にもなっている 旧市街の入り口 になっています。フランスの植民地だった頃のコロニアル風の白い建物が並んでいます。

スークはアレッポやダマスカスとは違って天井が架かっていませんが、通路は 狭く混雑していて、皆にはぐれないように歩くのが 精一杯でした。途中の小さい広場で30分ほどの自由時間があり、ひとりで傍に建っているモスクの中庭 (有料200円くらい)に入ってみました。新旧二つの塔の見える広い回廊はローマ時代の柱頭が並んでいます。イスラムというより初期キリスト教、ビザンチンの面影を残しています。

地理的にも中東のモスクと違っていて当たり前なのでしょう。フェニキア人のカルタゴ時代から古代ローマの支配下に入り、そしてイスラム圏に変わるまでの歴史。そのあれこれに想いをめぐらせ、回廊で遊ぶ猫たちを眺めていますともう時間切れ・・・。

次はお待ちかねのバルドー美術館です。Stone Paintingといわれる評判どおりの素晴らしいモザイクを見学。ギリシア神話や伝説の場面やウエルギリウスの女神を伴った肖像モザイクなど。古代ローマ帝国がチュニジアに残したローマン・モザイクの多彩なコレクションです。イタリアで見た宗教的なビザンチンのモザイクとはまた違った生き生きとした魅力を感じました。美術館の建物もオスマン・トルコの長官が暮らしていたという広大、豪奢な宮殿です。

ランチは波が建物の際まで打ち寄せる海岸のレストランで。昨日雪の北海道から出てきた私の目に青い青い地中海が目に眩しく映りました。さてランチに海老でもでてくるかな?との期待ははずれました。なんと鰯でしたのであれれ・・・。でも骨までいただける香ばしく焼かれたこちらの方が私も含めてご老体の多いグループですので、体に良いわね~と、地元の白ワイン(グラスで250円くらい)で、昼から元気です。(笑)

さて、午後からは真面目に観光。市内のカルタゴの遺跡は、住居や浴場、軍港が一箇所にまとまっていないので、あちこち移動しながらの見学です。そのせいか遺跡としてのスケールが小さく感じられました。フェニキア人が築いた都市の跡といえば思い出すのが、3年前に訪れたサルデーニア島のタッロスです。ここからはそう遠くない距離にあります。カルタゴとタッロス・・・地中海貿易のため築かれた植民都市。2都市の繁栄と滅亡が遠く幻のように浮かびます。

住居遺跡のピュルサ丘にあるカルタゴ博物館も見学。ここで出土された貴夫人の墓碑が天使のセラフィムのように翼に覆われているのが目にとまりました。ほかはギリシア風の彫刻が多いのですが、特に優れたものはありませんでした。


画家のパウル・クレーは1914年にチュニジアを旅しました。2週間ほどの滞在だったようですが、イスラム世界の建築が持つ独特の色彩に魅了され、画家として大きな飛躍を遂げたことは有名です。なかでもシティ・ブ・サイドの街並みはチュニジアでも最も美しいといわれています 。白い建物に青い扉の家が並んでいます。ゆっくりクレーの色彩あふれる絵画をイメージしながら散策したいところですが、なにしろ団体行動なので、メインの通りをきょろきょろ歩き、チュニジアで最も有名な店「カフェ・デ・ナット」で松の実の入ったミント・ティーを飲んだだけで終わりました。この近辺は人気があるので観光化が進んでます。結構な混雑でした。

観光客が一番多いのは以前チュニジアを植民地として統治していたフランス人 、続いてドイツ人、イタリア人とか。ミラノから2時間で来られるのですから札幌~関西の感覚なのですね。シティ・ブ・サイドに着いたら沢山写真を撮るつもりでしたが、なんと!バッテリー切れ。(涙)
 
日ごろの運動不足がたたって一日歩くともうヘトヘト。5時過ぎにホテルへ戻りました。夕食はホテル内のレストランでブッフェスタイルです。唐辛子の入ったソース(ハリサ)をつけて食べる各種の前菜をはじめ地元の料理とイタリアパスタなどが並びます。この時23名の参加者の自己紹介がありました。平均年齢70歳くらい。しかし、チュニジアワインをお目当てに参加された方も含めて酒豪揃いという構成・・・それで昼も夜もぐいぐい←ひとさまのせいにしてはいけませんわね。(汗)


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2007冬の旅 チュニジア(3) [北アフリカの旅2007冬]

 1/28(日) チュニス~ザクアン~スース~エル・ジェム~スファックス
 

北アフリカとはいえ広い砂漠地帯のある国です。朝晩は寒い と聞いていましたが、最高温度は20度くらいに上がるとの事前情報。暖かいジャケットなど要らないかしら?と思いながら、寒いと辛いからと革やキルトのジャケットをトランクに詰めてきて正解でした。  この日の 朝の出発時はそれを着込んでも寒いくらいでした。バスに乗り込み次の目的地スファックスをめざして出発。

バスからカルタゴ時代からの水源とされる山脈が見えてまもなくザクアンの水道橋遺跡があらわれてきました。世界最長の全長132キロという 統治国であるローマをしのぐ規模だったそうです。現在の道路はこの水道橋に沿ってカーブしています。

ここから地中海沿岸東を南下してスースの旧市街(世界遺産)に寄りました。高い城壁に囲まれたメディナのなかはモスクの塔がそびえ、登って見学できる要塞もあります。今日は日曜日ということもあってスークの生鮮食料バザールは大混雑。ゆっくり珍しい野菜など見ていると迷子になってしまいそうでした。いつも個人旅行なので、何かに気をとられるとついつい意識が団体行動からずれてしまいます。きっと、添乗員さんにとっては要注意人物だったことでしょう。

ランチはこの近くのハーバーに面したリゾート風イタリアレストランで。

午後からはやや内陸に入ったエル・ジェムの円形闘技場へ。ここも世界遺産になっています。ローマの属州とはいえ高度な建築技術を駆使した都市が残されているのは、それだけ世界の超大国ローマがカルタゴの領土を重要視していたことのあらわれでしょう。現代のチュニジアは石油資源もなく決して豊かとはいえません。でも現地ガイドさんが「石油がとれなくてもかえって良いのです。平和が一番です」という意味が心に響きました。石油を巡っての利権争いや超大国の介入には無関係でいられますもの。  エル・ジェムの円形闘技場 をバックに咲き乱れるブーゲンビリアの花々。そして名も知らない黄色の野草がひっそり遺跡の石の間に咲いていました。

再び地中海沿岸に戻って、日暮れにスファックスの街に到着。長いバスの旅で疲れましたが、ホテル(OLIVIERS PALACE)は中庭の美しいイスラムの宮殿風の建物、お部屋もなかなか素敵でくつろげました。


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2007冬の旅 チュニジア(4) [北アフリカの旅2007冬]

1/29(月) スファックス~マトマタ~ドゥーズ~大塩湖~タメルザ

 チュニジア第2の都市スファックスでは観光する暇も無く朝8時には出発です。いくらあなた任せの団体旅行といってもバスがどのあたりを走っているのか知らないのは耐えられないので、昨日購入した地図を見ながらの確認作業。いくつかの町や村を通り南下し、途中から 地中海沿岸を離れ内陸の砂漠山岳地帯に入っていきました。どの町でも学校が一番立派な建物で、教育費はかからないという恵まれた環境です。中東のイスラム圏との大きな差は女性の立場です。独立後の総選挙後は女子も参政権と教育が受けられようになりました。今では優秀な人材が育ち社会の中枢で活躍しています。もちろん一夫一妻制で、離婚の慰謝料も高く、払わなければ夫は刑務所行きです。その厳しさのためか独身男性が増えているとか。日本語堪能なチュニジア人のガイドさん(推定年齢35歳男性)はユーモアたっぷりにいろいろなお話を聞かせてくれました。 一番の傑作は8歳のときに行われた割礼の儀式の赤裸々体験談。 もう、爆笑!

そうこうしているうちにこの日最初の訪問地マトマタに到着。北アフリカの先住民族ベルベル人の住居を見学しました。アラビア語でマグレブ(西の果ての意味)と呼ばれるモロッコ、アルジェリア、チュニジアに多く住んでいます。ベルベル人は自由な気質を持つ民族なので、アラブ化には相当な抵抗をしました。そのアラブ軍との戦いでチュニジア南部の山岳地帯に逃れ、山に横穴を掘って住み着いたのです。私たちが訪れたのは道路わきの小規模な民家です。アーモンドの花が満開でした。

歓迎のしるしに竈で焼いたあつあつのパンを振舞っていただきました。粉も臼でひいたのでしょう、とても香ばしく美味しいパンでした。

ランチはホテル(シディ・ドリス)も兼ねた大きな穴居式建物で。ここは「スター・ウォーズ」のロケ地として知られています。

Barのこの椅子にいつもハリソン・フォードが座っていたとか聞きましたが、この土俗的な場所とあの宇宙を舞台の映画が・・・いまいちイメージが一致しませんでした。ジョージ・ルーカスは空からの眺めで月世界をイメージしたのでしょうね。ランチではチュニジア風春巻きやクスクスなどいただきました。

マトマタを離れ、らくだの放牧が見られる砂漠地帯へ。砂漠といってもナツメヤシの並木もまだ多く見られますし、らくだ草?の低い潅木状のものも茂っています。

ドゥーズではらくだに乗っての砂丘散策がスケジュールに組まれていましたが、私はエジプトで体験済みだったのでパスしました。今はらくだの雄の発情期で、涎だらだらで 気持ち悪かったのもありました。↓はこの近辺の風景です。

 幻想的な夕暮れの大塩湖(ここを横断するのに約1時間かかりました)を眺めながら今夜宿泊のタメルザのホテルへ。

着いたときはすでに暗くなっていましたが周囲の景観に溶け込んだ外観の素敵なオアシスの宿です。実はここで私の誕生日を迎えました。なつめやしの絵のついたお祝いのケーキ も運ばれ、みなさんにお祝いしていただきました。家族から離れたバースディは初めてでしたが、添乗員さんの肩もみプレゼントつき、そしてBarで2次会の無花果酒も美味しくいただきました。とても思い出深い誕生日になり、幸せでした。


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2007冬の旅 チュニジア(5) [北アフリカの旅2007冬]

1/30(火)タメルザ周辺の一日観光

やや二日酔いながら、なんとか起床できました。本当はゆっくり9時の出発でも充分列車には間に合うのですが、座席が心配で8時に出ました。メトラウイ駅からレザールージュ号に乗車し、セルジャ渓谷の観光です。

 

私たちが一番乗りで席を確保したあと、フランスやスイス人たちがのんびりやってきました。この観光列車はフランス統治時代にチュニジアの王の御用達列車を改造したものとか。古めかしい木製の内装で、レトロな雰囲気です。

渓谷の眺めは素晴らしいのですが、谷間に流れる川は泥流(上流にリン酸の産地?)です。

せわしない日本人の観光客だけ途中で降りて、バスでいったんタメルザのホテルに戻り、一休み。午後からは6台の4輪駆動車に分乗してベルベル人の村やオアシスを巡りました。ランチはオアシスのなつめやしの林のなかの野外レストランへ。ホテルの臨時レストランですからお客は私たちだけ。ここでガルクレットという壷を熱した砂のなかに埋め込んだ名物料理をいただきました。チュニジアで食べたもののなかで一番美味しかったです。


良く晴れた日が続きましたが、この日も青い空になつめやしの緑、林を吹きぬける風も爽やかでした。4月くらいまでが観光に適しているそうです。5月になると恐ろしいことに毒蛇と毒さそりが冬眠から目を覚まし、そして灼熱地獄・・・。
北アフリカの南部に広がるサハラ砂漠は世界で最も広く、近年の地球温暖化でさらに面積は拡大しつつあります。チュニジアの経済にも多くのマイナス面を与えているのでしょう。せめてものの思いで石油堀削を続けていますが、出てくるのは温泉ばかりとか・・・「日本人温泉好きだからもっと沢山 来て欲しいです」と 言われてもね。

さて、お腹が一杯になってからの岩山登りはハードでしたが、ミデス、シュピカはベルベル人の村落の跡地で、映画「イングリッシュ・ペイシェント」のロケ地になったところなので頑張って歩きました。このへんで飛行機で墜落した恋人を洞穴に運ぶシーンを撮影したのかとレルフ・ファインズファンの私は目がキラキラ。(笑)

このエリアはサハラ砂漠のまだ北側ですから、道端には菫色や黄色の野草が咲き乱れ、とても綺麗でした。移動中ヤギの群れに道をふさがれたり・・・今日も楽しい観光でした。

タメルザのホテルからはベルベル人の集落跡地も眺められ、素晴らしい景色。ホテルの従業員も感じよく、洗練されたサービスでGOODでした。ロビーで一緒になったほかの日本人のツアーは15日間チュニジアを周られるそうで、テントのホテルにもこれから泊まるのよと私たちオールドツアーの面々を羨ましがらせました。 


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2007冬の旅 チュニジア(6) [北アフリカの旅2007冬]

1/31(水) タメルザ~スベイトラ~カイラワン

  名残惜しいタメルザのホテルを写真↓に撮って、バスに乗り込み一路スベイトラへ。

3時間のバスの旅は疲れの出る頃でしたし、ほぼ寝入ってしまいました。どんな風景だったのかあまり記憶にないのですが、景色は砂漠から次第にオリーブやアーモンドなどの緑、それとともに村や町のの集落も多くなってきます。

チュニジアに来て道路沿いに羊の死体がぶら下がっているレストランが並んでいるのを見た時は驚いたものの、次第に見慣れてきて、6日目ともなるとバスにまで漂ってくる美味しそうな匂いにお腹がぐう~。慣れとは恐ろしいものです。こちらの方は食べる前に羊を見てから注文するのが当たり前なのだそう。またイスラム教では禁じられている豚科の猪が山に繁殖しすぎて困っているとか・・・。砂漠を見ながら温泉に入って牡丹鍋のコースが日本人向けで良いんじゃないかしら・・・って冗談です。

この日は朝はどんより曇って雨も落ちそうでしたが、スベイトラの遺跡の見渡せるホテルで昼食を取っているうちに晴れ間が見えてきました。

今回は天候には恵まれ、マルタでも一度も傘を使うことなく旅を終えました。しかし、2月は雨が降るべき時期なのです。春までに雨が降らないとこの国は大変なことになります。乾いた大地に人々が伏して、アッラーの神に祈る気持ちがここではすんなりと理解できるのでした。日本とはまったく違った風土に数日間とはいえ身を置いてみると、今までの認識不足を痛感させられました。中東のイスラム圏との違いもここへ来てなるほどと思うことも多くありました。私たちのバスに手を振ってくれたやさしい表情の大人やはにかんだ子供たちの可愛らしさ・・・。ツアーとはいえ治安に不安を抱く場面は皆無でした。充分、個人旅行ができる国ではないでしょうか。

さて、ランチのあとはスベイトラの古代ローマ遺跡の見学です。

ここは2次大戦のとき?フランスの軍隊が駐屯していた時に発見されましたが、発掘作業は予算が乏しくすでに終わっています。広い敷地に3つの異なったギリシア建築の神殿が並んでいる風景は珍しいといわれています。

ほかは浴場や水道池の見学。途中カブサに立ち寄り休憩後、夕方カイラワンのホテル(ラ・カスバ)へ。 バスの移動が最も長く、見るところも一箇所だけの疲れた一日でした。ホテルは外観はカスバ(城壁)を模した建物ですが、中は近代的です。

チュニジア最後の宿泊にふさわしくお部屋も壁にモザイクタイルが張ってあって、エキゾチックな趣でした。

いつものひとり旅では3星中心に泊まっていますから、今回の旅は5星ばかりで贅沢なものでした。ホテルに着く度にうわ~5星!豪華!と喜んでいたのは私だけ・・・。(笑)


 


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2007冬の旅 チュニジアからマルタへ [北アフリカの旅2007冬]

 2/1(木) カイラワン~チュニス16:00発~トリポリ乗り換え~バレッタ20:00
 午前中はカイラワン(ケロアン)の観光です。ここはメッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目に重要なイスラムの聖地だそうで、それにふさわしいアフリカ最古(9世紀建立)のグランド・モスクが建っています。ミナレット(尖塔)から流されるスピーカーでのコーランを初めて聞いたのはエジプトのカイロでした。その時は何が始まったのかと驚いたものです。カイラワンのモスクもチュニスと同様に2つの塔を持ち柱頭はローマ時代の神殿のものを移築しています。

ここでは回廊以外も観光ができますので、色彩豊かなモザイクタイルやレース編みのような白い石の彫刻などで装飾されたミラフーブといわれるメッカの方角を示す壁面のくぼみなどの内部を見学をしました。シリアのダマスカスのグランド・モスクは屋内の大礼拝所にも入れたのですが、ここでは入り口でストップ。ダマスカスより凝った装飾、瞑想的な暗い内部にシャンデリアが綺麗です。

  

回廊の柱頭彫刻がヨーロッパのロマネスク聖堂とも当然似通っていますが、↑右の礼拝堂への扉口にもローマ帝国の属領時代にさかのぼれそうな様式が見られます。柱頭彫刻もひとつひとつゆっくり観ていたら・・・置いて行かれてしまいました。どの方向に行くべきか一瞬頭が真っ白に ・・・でも入り口が見えたので走ってそこから外へ。路地の向こうに添乗員さんの後姿がチラッと見えて一安心。人について歩くと自分がどこでバスを降りて、どこから入ったのかも注意を払わなくなるものですね。今回は背の高い添乗員さんだったので遅れても見つけやすく助かりました。

タイルで飾られた華麗な回廊はシディ・サハブ廟です。

カイラワンの旧市街は世界遺産に登録されています。

   

旅の振り出し地チュニスに戻り、市内の港に近いレストランで昼食。ブイヤベースのような魚のスープが美味でした。このとき雨が降ってきましたが、店先からバスに乗り込み 空港へ。

当初の予定ではチュニスからダイレクトでマルタ島へ飛ぶはずでしたが、飛行機の手配ができなかったそうで、リビアのトリポリ経由になりました。チュニジアみやげに地元のワインを免税店で購入しました。一番高いので1,200円くらい。日本には輸出されていないそうなので家人も喜ぶでしょう。リキュールの無花果酒も欲しかったのですが、マルタからミラノ間も重量制限が厳しく、かといって手荷物の液体チェックは厳しい昨今ですから、諦めました。

トリポリでの乗り換えカウンターでは、ハラハラしました。係員が全員のパスポートを持ったまま、どこか違うオフィスに行ってしまったのです。心なしか添乗員さんの顔が青ざめています。そして係員の去った方向を見つめながら、行ったりきたりしています。それも知らず酒豪たちは文句たらたらです。「リビアは来たくないわね~」・・・リビアでは国際空港のBarといえども禁酒国なので、ビールも飲めませんから。(笑)
30分ほどたって係員がパスポートを抱えて戻ってきました。先ほどの厳しい顔から変貌、にこっと微笑んで「Bon voyage!」でした。空港内の係員は外国人にはほとんどフランス語で話します。

 結局飛行機も遅れたので、マルタ島のホテルに着いたのは10時近くでした。そのままホテル内のイタリア・レストランで軽めの夜食をとり部屋へ。(ラディソン・ベイ・ポイント・リゾート)


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2007冬の旅 マルタ(1) [北アフリカの旅2007冬]

2/2(金) マルタ島 ヴァレッタの市内観光

昨夜は波の打ちつけるドーンという音と風のひゅーっと鳴る音が気になって、たびたび目が覚めました。しかし、今日は今回の旅で最も重要視していた カラヴァッジォの名画を鑑賞できます。嬉しくてそわそわでした。ホテルからバスで30分ほど走りヴァレッタの旧市街の入り口の大きな門に到着。写真は門からの大通りです。ここからは徒歩でまず聖ヨハネ教会の見学です。

十字軍の聖ヨハネ騎士団の活躍はここではあまり触れませんが、アラブの侵入を食い止めたキリスト世界にとっては多大な功績のあった騎士団長たちの壮麗な床の墓碑や装飾。これでもかというほどのご立派なバロックです。(すぐ飽きちゃった・・・笑)。↓は翼をつけたお髭の老人の天使?

そして小さな付属の美術館 にカラヴァッジォの「聖ヨハネの斬首」と「聖ヒエロニムス」の2点が収められています。
 「聖ヨハネの斬首」は祭壇画ですから奥のほうに飾られています。美術館の鑑賞とは違って、遠いのが少々残念。友人が2,3年前にここを訪れ、おみやげに絵葉書をいただいてましたが、テーマからして暗い絵画という印象でした。しかし、照明の工夫も本物の輝きもあり、意外に 明るい画面です。左に絞首刑にされた聖ヨハネの死体から斬首、そしてその首を盆のうえに載せようと用意している人物たち↓、

右奥に牢獄の窓から見ている二人の男たち・・・こちらから観るとまるでドラマの舞台です。そして、この時購入してきた本「Caravaggio Art、Knighthood 、and Malta」を見て、 聖ヨハネの首から流れる血の傍にその赤で署名がされているのに気がつきました。f michelangeloと・・・最後の2,3文字は薄く読み取れませんが、初めのFはFra(修道士)の略でしょうか。本名はMichelangelo merisiです。カラヴァッジォは1608年7月にマルタ騎士団の騎士に任ぜられ、その直後に騎士団長の依頼でこのオラトリオ(美術館の前身)のために製作したのです。この晴れがましい状況の中でも犯した罪を忘れない複雑な彼の心境が赤い血のサインに見て取れます。

この後はお決まりの観光(武器庫やバラッカ庭園からのグランド・ハーバーの展望)があり、ランチからは自由行動です。

そろそろ一人になりたい病にかかってましたので、ではではとさっさとグループから離脱。旧市街をふらふらと歩いて適当なレストランを探しましたが、意外になかなか見つかりません。現在オペラ劇場としても使われているらしいマノエル・テアトル↓(オペラのポスターなどは無し)

の近くまできてようやく洒落たお店を発見。マルタは薄味、さっぱり系のイタリアンが主流でしょうか。なかなか上品な味で当たり!でした。

この後は旧市街の美しい家並みや小路を写真に沢山撮りました。どちらを見ても絵になる出窓風バルコンつきの家々・・・。

どこかでみたような民家の建築です。シリアのアレッポに似た建物がありました。スークの近くに、もう壊れそうに古い出窓風バルコンつきの建物が何軒か並んでいました。昔のキャラバン・サライといわれる隊商宿だったと記憶していたのですが、検索で確かめたところサライとは宮殿のことで、町家の造りではなく広い中庭のある宮殿のような建物のようです。確かにこういう建物も見学していました。(汗)シリアには十字軍のクラック・デ・シュバリエという中世の城(要塞)が残っています。十字軍が東西文明の橋渡しをしたということでしょうか。

国立考古博物館にも入館して、渦巻き模様の出土品や眠れる婦人像などを見学しました。この別名ビーナスとも呼ばれている婦人は典型的なマルタ体型。(笑)ぜひお見せしたいところですが、撮影禁止のうえ絵葉書もありませんので、残念。さすがに疲れて集合時間までカフェでコーヒータイム。夕方5時ごろST.JULIANの海岸に建つホテルに帰りました。

ここのホテルも5星、個人で泊まると相当高そうでした。お部屋からは海しか目に入らないようになっています。木のフローリングで床暖?気持ちよく暖かく、トランクを10個は広げれそうなスペースでした。

夕食は中心街へ行き中華料理。あまり美味しくなかったので、酒豪たちとホテルのナイトクラブで、お口直しの飲み会。この夜は波の音も風の音も気にならず・・・泥酔だったのかしら?(笑)


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2007冬の旅 マルタ(2) [北アフリカの旅2007冬]

2/3(土)  イムディナ~マルサッシュロック~スリーシティ
 今日の最初の観光はヴァレッタからバスで沈黙の街と呼ばれるイムディナを訪れました。ヴァレッタが要塞都市として築かれ、首都として繁栄する前はイムディナが都でした。富と人々がヴァレッタに移ってしまったため生気を失い、その静まり返った様子はいつしかサイレントシティと呼ばれるようになりました。今は観光地としてこの静寂が好まれています。住宅は手入れされ、ドアノブの表情も凝っています。しかし、住民が住んでいる割に人の気配がありません。観光客がめだつだけの生活感のない古い街並みは綺麗であっても、私にはなにか物足りない感じがしました。↓旧市街への門。

   

 


次は打って変わって賑やかなマルタ最大の漁港マルサシュロックへ。小さな漁船が沢山停泊しています。カラフルにペイントされた舟の舳先にマルタのお守りの目玉。

目玉のお守り(または守護神として)で有名なのはトルコとかエジプトです。今はアラブ系の国となっていますが、イスラム教の台頭する以前のマルタとの交流や文化的な繋がりがあったことが伺えます。詳しいことは判りませんが。

漁港に面してシーフードのレストランが並んでいます。そのなかの一軒がグループ旅行御用達レストランらしく、私たちとドイツからのグループがここでランチしました。日ごろダイエットに苦しんで?いますとはとてもいえません。隣席のドイツ人たちのボディを横目にすると超おおらかな気持ちになって、お皿いっぱいの魚介のグリルをなんなくたいらげました。(笑)

午後はヴァレッタに戻り、スリーシティと呼ばれる地区の見学。写真は日本のテレビにも登場したという物見の塔。(コウノトリと例の目玉の彫刻)

最後は小さなボートに分乗して海上からの観光です。私の乗ったモーターボートはおじいさんと可愛らしいお孫さんの操縦する舟でした。

グランドハーバーは波も無く静かですが、大海のほうへ近づいたら急に揺れだしました。救命ベストも着けていませんし、かなづちなので少々怖かったです。

イギリス方面からのヨットが多数停泊しています。陰鬱な英国の冬を逃れて、マルタで冬を過ごすという優雅な人たちがいるのです。

そういう滞在客のための宿泊、アパートメントなども多いと聞きました。マルタは観光収入が主な財源ですが、教育費は一切かかりませんし、医療費などもほとんど無料なので、お給料が安くても老後の心配がないとのこと。羨ましい限りです。どおりでマルタの人たちはおおらかで(体型も)、フレンドリー。そのへんをぼんやり歩いている猫まで太りすぎ。(笑)


  夕食は中心街のヨットハーバーに面したお洒落なレストランで。ここで初めてワインリストが渡され、ようやく地元のワインから選んで注文できました。ここはお料理、インテリア、サービスとも洗練されてました。マルタでは高級レストランでしょう。この日は昼も夜も食べ過ぎ飲み過ぎでした。ダウン寸前で恒例の二次会は無し。しかし、マルタ体型になりつつあるのは確実でした。猫を笑っちゃーいられません。


 


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2007冬の旅 マルタ(3) [北アフリカの旅2007冬]

2/4(日)  ゴゾ島一日観光

早いもので、マルタも今日が最後になりました。ヴァレッタから北西のCIRKEWWAのフェリー乗り場まで島を半横断。途中、聖パウロが辿り着いたといわれる小さな岬を遠望。また、見晴らしの良い要所には一見すると小さな城に見えるCostal Tower(監視塔)↓がいくつも建っています。この島の防護の厳しさを物語っているようです。

フェリーは無人の小さなコミノ島を右手に見ながら40分ほどでゴゾ島の南東のMGARRに到着。当初はマイクロバスに分乗の予定でしたが、待っていたのは大型バス。信号のない小さな街が多いので、運転手さんは結構大変なようでした。
ゴゾ島には5千年~三千数百年前に造られた巨石神殿があります。世界最古の建造物ともいわれ、ヴァレッタの博物館で見た渦巻き模様の石の装飾や眠れる婦人像はこうした神殿遺跡から発見されました。私たちが訪れたのは島のほぼ中央に位置するジュガンティーヤ神殿です。


とても見晴らしの良い場所に建っています。先史時代に大きな石をここまで運んで、堅固に積み上げていくパワー。それは神への祈り、忠誠のしるしだったのでしょうか。

神殿の入り口に近所の農家のおじさんが自家製の野菜で作った製品の即売所を開いていました。ドライトマトの塩漬とチーズの瓶詰めを購入。

ホメロスの壮大な叙事詩「オデッセア」で有名なカリプソの洞窟にも行ってきました。↓洞窟の上から

チュニジアのバルドー美術館のモザイクにも「オデッセウスとセイレーン」の素晴らしいモザイクがありましたが、この伝説は何人かの画家によって描かれています。なかで一番印象に残っているのはベックリンの「オデッセウスとカリュプソ」。帰国後画集で確かめたところ、赤い砂浜や洞窟の描写がゴゾ島のカリプソの洞窟に似ています。ベックリンがゴゾ島に行ったとは思えませんが・・・。

ARNOLD~1.JPG

イタケの王の息子オデッセウスはトロイ戦争で活躍し、イタケへ帰還の航海で海神ネプチューンの妨害にあい、その長い冒険の末、愛妻のペネロペのもとに帰ります。ここの洞窟でペネロペを思い続けて7年も足止めを食ってしまいます。伝説の地ですからほかにも <カリプソの洞窟>は存在するのかも知れません。

ランチは農家を改造したレストランで。この一帯は葡萄畑や農地の続く豊かな緑のなかにあります。ここでは初体験の兎をシチュゥのような煮込み料理でいただきました。不味くはないけれど美味しいとも思いませんでした。

午後からはアズール・ウインドウと呼ばれるゴゾ島西の景勝の海岸へ。

そして島の中心の町ヴィクトリアでの大聖堂の見学。ここの城壁からの眺めは綺麗でした。緑は今が一番美しい季節とのこと。夏は茶色に枯れてしまうそうです。

日曜日だったのでヴィクトリアの街はお店もカフェもお休み、散策もできないので残念でした。早めにフェリーに乗ってヴァレッタに戻りました。


旅の最後の晩餐はホテルのレストランの個室で、スプマンテつきフルコース 。<カリプソの洞窟>で転んで額に小さな怪我をした老婦人以外は風邪も引かず、お腹も壊さず、一同元気で旅の終わりを迎えることができました。歳を考えると凄いことですね。この夜は添乗員さんも一緒の二次会がありましたが、トランクの整理があるので私はパス。翌日の酒豪たちはさすがに眠そうでした。(笑)

4泊したヴァレッタのホテルの部屋

旅の前にノイズ・キャンセリングのイヤホーンを新調してましたので、帰りの飛行機のオーディオも楽しみだったのですが(月も変わっているし)、往路と同じ「チェネレントラ」。サービスの細やかさに欠けているアリタリアです。それでもうっとりとシラグーザに聞き惚れながらの飛行機の時間は短く感じました。東京に寄り道して旧友たちと再会、歌舞伎そしてカサロヴァのコンサートと遊び、15日間の留守の末、我が家に無事帰還しました。(終)


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北アフリカの旅2007冬 ブログトップ